10年桜
30歳から、39歳までを歩いて
今夜、30代最後の日です
振り返りなどする気はなかったのですが、久々にブログの存在を思い出しました
30代…
世間の多くの方々にとっては、色々な転機や、いわゆる人生のイベントも多く起きる10年間なのでしょうか
私は、というと、あらゆることが起きたような気がする一方で、根源的には何もなかったようにも思います
強いて言うなら、義務を放棄した10年、でしょうか
学業、仕事、そんなものたちを放棄し、たまに少し楽しいことがあったように見えて、結局、何も楽しめていなかったり
要するに、無為な10年だった、ということです
変わらない、のではなくて、変われない
いみじくも過去に自分が言った通り、もう、私の人生の本編は終わっていて、今はもう、ただ息をしているだけの余生なのだと思います
無為な10年、それでもお金は生きていればかかります
とても、無駄なことです
日付が変わったら、40歳になって
40代の10年間が始まります
50歳になった自分が、もし生きていたとしたら、どうなっているのか
意味などない
まして理想など
やりたいことも、特にないです
生きていたいとも、思いません
でも、もし、何か変わることができたならば、10年後には、見える世界が違うかもしれません
過剰な期待はしないけれど、ほんの僅かな、望みを40代の自分に託して
10年後に また会おう
この場所で待ってるよ
今よりももっと………もっと
30代の私に関わってくれた皆さま、本当にありがとうございました
I'm in Love
先日、神さまの元に還った祖母の葬儀に昨日行ってきました。
客観的に見て、亡くなっても仕方ない年齢でありながら、いざその時が来ると、実感が全く沸かないままの状態でした。
綺麗なお花で飾られた祭壇を見ても、そこに祖母がいるとは思えなくて。
起き上がって、また冗談でも言うのではないかと。
でも、棺桶を閉める前、祖母の冷たい頬や額に触れ、初めて、もう旅に出てしまったのだ、と漸く実感しました。
涙ではなく、温かい笑顔で送ろう、と思っていたのですが、お経を聞く間、晩年の祖母と交わしたたくさんの言葉たち、いつかいい事がある、と綺麗事ではない言葉を私にかけ続けてくれたこと、ハグした時の小さな体、それら様々なものが一気に溢れ、涙は止まりませんでした。
さよなら、は言いませんでした。
ただ、ありがとう、またね、とだけ。
あの世とか、輪廻とか、信じているわけではないけれど、私の心の中で、祖母はいつまでも生き続けます。
「昭和という時代に僕らを抱えて走った
そんな貴女の生きがいが染みて泣きたくなる」
大正、昭和、平成、令和。
長い道のりを走ったおばあちゃんの魂が、今、安らぎの中にあることを願って止みません。
おばあちゃん、行ってらっしゃい。
弱くて不器用な私を、どうか見守っていてください。
しばし、お別れです。
また会えた時には、ミルクティーを飲みながら、お互いの長い旅のお話をしましょう。
おばあちゃんの忘れ形見のお父さんのこと、できるだけ大切にします。
私は、大丈夫ではないけれど、もうしばらくは生きそうです。
生きられること、背中を押してくれたおばあちゃん。
今はゆっくり、大好きだったおじいちゃんと、安らかにお過ごしください。
ありがとう、本当にありがとう。
その時が来るまで、「またね」。
たった一人の孫娘、拝。
夏の憂鬱
お久しぶりです。
夏が、終わりました。
私の試験も、一旦終わりました。
結果は、華麗に散りました。
わかっていたこととはいえ、当然ながら気分は良くないです。
でも、結果を踏まえ、熟考した結果、続投することにしました。
約一年、本気で頑張りました。
合格に必要と言われる平均勉強時間を、500時間は超えていたはずです。
だからこそ、やるせない。
そんなにやったのに落ちたということは、私の能力不足でしかないということだから。
体力以上に、メンタルに引っ張られた気もします。
みんなが強いのではなく、私が弱いのでしょう。
もう少しで、40歳です。
私はこの先もずっと、食べ物に振り回されて、下剤飲んでトイレで暮らすのか、そう考えると、今すぐ死にたくなります。
被害妄想と言われそうですが、各方面からの、よく頑張ったね、を額面通りに受け止められません。
よく頑張ったね、今度はもっと頑張ろうね?に聞こえてしまう。
私もう頑張ったもん!!と幼児のように暴れながら叫びたい。
よく頑張ったね、もう頑張らなくていいよ、と、神さまにお迎えに来てもらいたいです。
ここで言う、もう頑張った、とは、勉強のこと以上に、摂食やメンタルと戦いながら、生きてきたことです。
勉強については、まだ伸び代があると思えますが、生きている、ことに関しては、もうこれ以上頑張らせるのは、苦しみでしかありません。
善は急げ、で、何歳になったら、とか、何がどうだったら、とか言わずに、今、死にたい。
私が死んだら、悲しいですか?
もしそうならば、死のうかな。
私はあなたを、悲しませたいのです。
他の人には…忘れてほしい。
死にたさのリュックを背負って勉強するなんて無謀、と言われるかもしれませんが、それは逆です。
勉強や日々の雑事に逃げ込むことで、死にたい辛さと折り合いをつけている。
そう思う一方で、死にたさを具現化していなくなれば、勉強も生活費の工面もしなくていい、とも思います。
新しい顔には、慣れてきました。
慣れてきたというか、ダウンタイムがだいぶ過ぎて、違和感がなくなりました。
結局、人中5mm短縮、目の下の弛み除去、鼻筋メッシュ8本、鼻先形成、だけ。
ヒアルは、アレルギー反応起こして、両側腫れ上がったので、溶かす注射して、諦めました。
この先、ヒアルが使えないとなると、アンチエイジングの選択肢がだいぶ狭くなるから、残念です。
唇もやりたかったけれど、ヒアル使えないなら難しいなぁ。
次どこやるの?と聞かれたら、骨削って小顔形成かな!と答えます(ブラックジョーク)

夏の終わり。

りんご飴。
そういえば、ディズニーのどっちかに、いつだか知らないけれど、ヴィランズのコーナーができるみたいです。
現実には難しいだろうし、夢で終わるだろうけれど、もし、色々な意味で可能なら、ヴィランズ好きの母と一緒に行けたらな、なんて。
Five hundred twenty-five thousand
Six hundred minutes
Five hundred twenty-five thousand
Moments so dear
Five hundred twenty-five thousand
Six hundred minutes
How do you measure
Measure a year?
In daylights
In sunsets
In midnights
In cups of tea
In inches
In miles
In laughter
In strife
In five hundred twenty-five thousand
Six hundred minutes
How do you measure
A year in the life
How about studies?
How about studies?
How about studies?
Measure in studies
Seasons of studies
Seasons of studies
大好きなRENTの冒頭歌を替え歌しちゃったりして。
覚悟、決めませうか。
自分のご機嫌は、自分で取るのが一番合理的です。
とても難しいことだけれどね。
食べ物でご機嫌取れない私は、また、マチアプで若い男の子探してテキトーにお相手してもらってストレス発散しながら頑張ります。
でも、今のところ、今いる数人で間に合ってるかな。
今、一番一緒にいる子は、正直生まれもお育ちも違いすぎて呆れることばかりだけれど、彼といると、ご飯が普通?に食べられて、美味しいと思えて、吐くことを考えなくて済んで、それから、一緒にいると楽しいことばかりで、地面下に引き摺り込まれるほどの不安定にならない。
それって私にとっては、奇跡だから、だからまだこっちからは手放せない。
あゝもう行かなくちゃ
秋が来るから
一年間。
行ってきます。
またね。
watch ur step
ご無沙汰しております。
勉強の疲れで、グッタリの毎日です。
試験まで、8週間を切りました。
8週間しかない。
8週間、ある。
どちらに転ぶかは、自分次第。
模試の結果が、ボロボロで。
「私なりに」ではなく、客観視しても、真面目に取り組んできたつもりでした。
それなのにボロボロということは、試験レベルに対して、私の頭脳キャパが圧倒的に足りなかったんだ、と思っています。
8週間をフルに使えば、覆せる気もします。
でも如何せん、私の集中して勉強できる時間には、限りがある。
とはいえ、あとたった8週間。
今更、諦める時間ではありません。
だから、当日まで、がむしゃらに頑張ろうと思います。
最近は、ご飯は、買ってきたものをそのまま食べることばかりです。
酢キャベツ作るくらいしかやっていません。
時間ではなく、気力がない。
気力は、こう見えて、勉強に全部吸い取られているから。
部屋も、ゴミは捨てていますが、荒れています。
せっかく綺麗な部屋を保ってきたのに、とも思いますが、今はそれどころじゃない。
使っている講座に、再チャレンジのコースがあることを知りました。
少しお安かったりするのでしょうね。
今年で基礎固めはできているから、落ちたら…などという考えが頭を過ぎりますが、今は敢えて考えないようにしています。
今回で受かるつもりでやらなければ、来年だって受からない。
もう二度とやりたくない、と思うくらい、打ち込みたいという思いでやっています。
足切りが厳しい以上、不得意な科目を作ってはいけなくて、万遍なくできるようにしなくてはなりません。
元々、大学受験だって3科目すら、ままならなかった私です。
たくさんの科目をこなすのは、とても大変です。
でも、後悔はしていません。
やれるだけ、やる。
無理しないで、と言われるのは本当に不本意で。
合格率5%前後の試験に、無理しないで受かるほど、頭はよくありません。
無理に無理を重ねた先に、掴めるものもあると信じて。
薄氷の上を歩いています。
体を、心を、壊さないように。
摂食障害の性ですが、食べ物でストレス発散できないのは、生きにくいですね。
キャベツやお刺身だって本当に好きだけれど、好きなものを思いっきり食べて癒されたい。
でも、吸収できないから。
先日の食べ納めです。



過食嘔吐は、基本、麺類が多いのですが、珍しく和幸へ。
キャベツが大量に食べたくて(笑)
豚肉は好きではないけれど、揚げたてにソースをつけて食べたら美味しかったです。



その少し前の、コリア料理です。
ビビン冷麺が好きすぎて。
あと8週間、このまま過食しないでいられるといいな。
さて、午後の勉強も頑張ります。
またね。
化身
こんばんは。
スコール並の雨の中、自転車飛ばして帰宅しました。
これだけ濡れると、いっそ清々しい。
まぁそれも、家にお風呂があるから言えることですね。
今日は、ギリギリまで行くかどうか迷った、「ロミオ&ジュリエット」を観てきました。
演目はどうでもよくて、「来世ではちゃんとします」で好きになって、「癒やしのお隣さんには秘密がある」で、どハマりした、小関裕太くんを生で観たかっただけなのですが、やはり観たかったので、こういう時に限って渋谷ヒカリエではない遠くまで、重たい体を引きずって。

結論から言うと、刺さりすぎました。
すぎた、は言い過ぎか。エリザベートには勝てない(伏線)
歌とダンスのバランス、テンポよく展開する物語、全て私の好みど真ん中でした。
小関くんが最初に出てくるシーンは、客席から現れる演出だったのですが、私の目の前を通り、手の届くところで立ち止まって歌い始めて。触ったりしてませんよ。
初めて生で見たわけですが、半端なく輝いていました。
あっという間の第一幕。
幕間に、ついに…ついに…アクリルスタンド、通称アクスタを買ってしまいました。

あと、舞台写真も。

近年、私は、物をあまり増やさないように心がけていたので、何処かに出かけても余程のことのない限りグッズなどは買わないようにしていたのですが、余程のことが、あった模様です。
第二幕も、あっという間で。
観客を、飽きさせない。
テンポが早ければ良い、ってものでもないけれど、基本的に私がせっかちなのとも関係していると思います。
アクスタ、これは…どうしたら良いのですか?
街で見かける、バッグなどに付けていたり、何故なのかご飯と一緒に写す人々を、痛々しい、恥ずかしくは、ないのかね、と思っていた…いる、のですが。
家のテーブルに飾る?
一人暮らしだから、許されますか?
公演が終了して、やっと気づきました。
演出、小池修一郎さん。
エリザベートの方です。
そりゃ刺さるわ、と思うと同時に、そういえばチケットを買うか悩んだ時に、小池修一郎演出で決めたのを思い出しました。
病みすぎてて忘れていました。
転売し損ねて、良かった。
舞台を観に行って、とても幸せになれて、こんな気持ちになれたのは、いつぶりか、思い出せません。
潰えていた気持ちが、甦りました。
やはり私の趣味は、不動でミュージカル鑑賞だと、改めて思い出させられました。
試験のことがなければ、千秋楽までの小関裕太バージョンのチケット、買い集めていたと思います。
(でもね、千秋楽は配信買うからね!そして頼みます円盤化!)
役者の何に憧れるかといえば、様々な役に転々と入り込めるからです。
得体の知れない「自分」が、容れ物に、入れる。
役者さんは、憑依型と、舞台を降りたら切り離せる型といらっしゃいますが、私は間違いなく前者でしょうね(お前は役者ではない)
私は、相当な七変化だと思っていて。
聖母のように優しくもなれるし、悪魔のように残酷にもなれる。
上品にもなれるし、下劣にもなれる。
賢いフリもできるし、頭空っぽのフリもできる。
才能がないので、舞台に立つ日は現世ではないけれど、この世を舞台として、人生を、色々な役でコロコロと生きていくのも良いじゃないかと。
確固たる自分なんてないし、二枚舌どころか十六枚舌くらいだし。
貰ったチラシには、5公演くらい、気になるものがありましたが、試験までは禁止です。
一番観たい公演が、日程がギリギリ試験後でした。

これまた、10本の指に入るくらいに好きな演目です。
ブロードウェイ版では、もしかしたら一番好きかもしれません。
まぁ、試験に落ちた時の慰め用に、確保しておきます。
さて。
「すべての快楽のあとに、眠るという快楽が待っている」
おやすみなさい。
致死量ドーリス
もう、全てが疎ましい。
生きていることを筆頭に、何もしたくない。
生きていたくない。
食べるのが嫌だから自殺、とか
働くのが嫌だから自殺、とか
至極普通の発想だと思ってしまう。
何か食べて美味しい、とか、仕事はするべきだ、とか、そういうのは、健常者の発想じゃないのですか?
あいにく、心身共にぶっ壊れているので、そんなこと、思えない。
本当に、何もしたくない。
なんか、年末くらいから、ずっと体調悪いし、精神は更に酷く病んでいるし、正確には、何もしたくない、というより、この苦痛から解放されたい。
誰か、私を殺してください。
そうして、苦しみから、救ってください。
辛すぎて、これ以上はもう耐えられない。
入院したら?って、違うよ。
根本的には治らないよ。
別に、20kg台でもないし、血液検査は良好。
何ができるっていうの?
神さまなんて、やっぱりいないのでしょう。
本当に苦しいのに、助けてくれない。
生きていたくもないのに、生きるために働いて、食べて。
矛盾していませんか。
此処で終わりに、してくれませんか。
苦しくて、苦しくて、涙が止まりません。
障害を持っていて、自ら希望する人間は、この世から淘汰してもらえないだろうか。
世のため、人のため、何よりも、本人のため。
逃げても逃げても、結局、逃げ場なんてなくて。
この世にいる限り、安らかな気持ちには、なれなくて。
書きたいこと、吐き出したいこと、まだまだたくさんあるけれど、涙が止まらないし、呼吸が苦しいので、この辺りでやめておきます。
助けて。
FREAKS
化けの皮が、剥がれました。
頑張っているように見えて、実態は、抗不安剤や安定剤やリス液を大量に飲み込まないと、家からも出られない。
文字通り、心臓の動悸と手足の震えが止まらなくて、心の問題だけではなく、危ないから外に出られないのです。
そうして、真っ当の皮を纏って、働いたり、勉強したりしていました。
もう疲れました。
勉強なんて、受験なんて、したくてやってるわけ、ないじゃないですか。
私ですよ?
死ねないから、せめて、忌まわしい残された人生を少しでも良くしたいから、足掻いている、それだけ。
仮に受かったとして、その後に待っているのは、労働です。
何その地獄。
剣道だって、だいぶ前から辞めたいですよ。
楽しくもないし、自分が頭だけではなくて、運動神経と要領も悪いのを思い知らされるだけ。
義務化していて、行くのも気が重いのに続けているのは……どうしてだろう。
趣味の欄に書いた時に、真っ赤な嘘にならないため、だったりしてね。
何もしたくない。
10億円あっても、私は生きていたくない。
楽しいことを作り出しても楽しめないから、もう十分わかっているから、遊ばないで勉強しています。
頭の回転や、集中力が欲しい、なんて、綺麗事。
本当に欲しいのは、死、以上です。
自分を褒めてもいいくらい、頑張ってきました。
でももう、終わりにしたいです。
何も食べたいものがない。
奮発しても、美味しいとも思えない。
どこも行きたくない。
誰にも会いたくない。
私は、生粋の嘘つきだけれど、自分や自分の気持ちにだけは、嘘をつかないように生きてきました。
そのつもりでした。
でも、気づいたら、自分の気持ちを無理矢理封じ込めていただけでした。
感情も動かない。
涙も出ない。
消えない傷だけの力では、死ねないのです。
傷の渦中にいた時、あの時が死ねるチャンスだったのだ、と今更取り戻せないことを考えています。
最大限、良いように言って、惰性です。
死なせてもらえるまでの時間を、やり過ごしている。
こんなに死にたくて辛い気持ちを、何のためなのかわからないけれど、薬とまやかしで封じ込めている自分が……かわいそう、とは言いませんが、惨めで、くだらなくて、汚くて。
整形に拘るのも、中身がヘドロだから、せめて外見の美に縋っているだけだと思います。
私より、美しくない人々が、楽しそうに笑いながら生きている。
羨ましくなどなくて、殺してやりたいほど、不愉快です。
いったい、この世の何が楽しいの?
どうして、笑えるの?
鏡、見たこと、ありますか?
そうして、醜い私は、どんどんどんどん捻くれて、自分の手に負えなくなっている。
永遠の眠り、が当選する宝くじがあったらいいのにね。
いや、意外と倍率高いかもしれない。
人の死に触れた時、真っ先に羨ましさが先立つ私は、それでもまだ、人間なのですか?
生きていることが、あまりに苦しくて、苦しみからの解放を求めているだけなのに、それが叶わない。
勉強は、続けるのだと思います。
やめたところで、他にやりたいこともないし。
そうして、頑張っているフリをすれば、丸く収まるのでしょう?
そうなのでしょう?
薬が切れると、世界がモノクロになって、心が割れそうになる。
震える手で、追加の薬を飲んで、トイレにしゃがみ込んで、呼吸が整うのを待つ。
きっと一生、このままです。
私が死ねない理由は、もしかしたら、もう既に心は死んでいて、生物学的に死んでいないだけだからなのかな、とも思います。
死は、福音であり。
でも、私は、良い人間じゃないから、それさえも、与えられない。
地獄で、暮らしています。
でも、まだ少し、堕ちる余地があるのを知っているから、全てを放り投げないで、今日も薬を飲んで、真っ当なフリをする。
過労は、睡眠不足とか、勉強の負荷ではなくて、生きることへの疲れ由来です。
嘘、つきました。
涙は、まだ出ます。
あと、何年も生きる苦しみのことを思うと、辛くて、限界で、涙が静かに溢れてきます。
あんたなんか、産まなきゃよかった、などと子供に言う毒親がいるようですが、私は、私なんか、産まれなきゃよかった、です。
両親のことを、根本的に許せないのは、幼少期の虐待などではなく、生きるのにこんなに向いていない私を産み落としたから、なのかもしれません。
恨みは消えません。
誰も、自分の意思で生まれてきたわけではない、のは、わかります。
でも、今までと、そして今も続く、私の苦しみの一部でも、わかるとは思えないのです。
私のこと、応援したり、頑張っているね、とか、言わないでほしいです。
どんな気持ちで、現状を維持しているか、もしわかったら、言えないはずです。
そう言われる度に、心に嘘をついて取り繕っている私にとっては、心に突き刺さる刃となるのです。
無理はしないでね、も大嫌いです。
相当な無理をしないと、多くの人々が当たり前のようにしていることが、できないのです。
例えば、無理をしないと、眠れない。
無理をしても、まともな食生活が送れない。
誰かと会う時は、笑わないといけないよね。
楽しく話をして、元気なフリをしないといけないよね。
前向きに、努力しているようにしないといけないよね。
大丈夫。
私、ミニーちゃんなので。
突き詰めたら、私が売ってきたのは、愛想と愛嬌ですから。
一瞬以内に、自然な笑顔、作れます。
仮面の下が無表情だとしても、誰も気づかないし、気にしない。
救いを求める、なんて間抜けたことは、とっくに辞めました。
誰も、私の傷口に寄り添うことなどできないのだ、と、学びました。
怖いのは、外見だけではなく、内面共々、仮面を保つことが、日に日にしんどくなっていっていることです。
化けの皮が剥がれたら、生きることも死ぬこともできない。
好きでミニーちゃんなわけじゃない。
そうしないと、あちこちで問題が起きるから。
一生、閉鎖病棟にいたくない、という思いは、まだあります。
だから、外の世界にいられるように…今日も、仮面をかぶります。
心を許す、という言葉があるけれど。
私は、この世の誰にも、血縁にでさえも、本当の意味では心など許せない。
吐き出して、少し溜飲が下がりました。
問題集に落ちる涙の雫を拭いて、また機械になって、「生きます」。
死ぬことよりも、生きていることのほうが、遥かに怖いよ。
誰か、この怖さから私を解放して。
はやく見つけて
この息の根を止めて
あの子にまで牙を向ける前に
十字を切れば誰でも救われるの?
反吐が出るね