原罪の灯

ここに証そう お前の名を ご覧 あれが生命なる灯

MAD SKY

自由とは、何でしょうか。

 

皆が欲しがり、時にはそのために、革命や暴動すら起きる、自由。

身体的自由、精神的自由。

 

狭義の自由とは、果たして広義的にも自由、なのだろうか。

 

自由の裏返しは、責任、のように思います。

その一方で自由のニアイコールは、不自由、なのではないか、とも。

 

小学生の頃、読書の時間や美術の時間に、テーマを「自由」と言われた時にひどく戸惑ったのを思い出します。

 

思うに、平和ボケした日本人は、所詮パンドラの匣の中でステレオタイプに教育され、お題を与えられずに、自由の海に投げ出されると、何をしていいのかわからなくなるのではないかと。

 

その方が、精神的に楽なのだと思います。

与えられたテーマに沿って生きるほうが。

 

暴走する常識の狭間で操られていることも知らずに

君は少し考えたふりして予定通りの未来を選んでいく

 

自由を狭めれば、伴う責任の重さが、軽くなる気がするのでしょうか。

 

人一倍、自由に焦がれて生きてきたつもりの私ですが、やるべき事を作って予定を埋めないと立ち尽くしてしまうことに最近気づき、うんざりしています。

 

不自由に伴う窮屈さと、自由に伴う茫洋とした砂漠。

自由を謳歌して走り出せる人は、よほど才能があるのだと思います。

 

羨ましいような、薄ら怖いような。

 

ただ、人に敷かれたレールをブロイラーのように走らされるよりは、自分の意思で作った道を、試行錯誤しながら歩いていくほうが、よほどマシで、きっとそれは、狭義と広義の狭間の、等身大の自由かもしれません。

 

何もしなくていい時間、を作ったら、それは人工的に作った余暇なので、難しいところです。

 

この世に生きている限り、魂の自由は得られないように思う、今日この頃です。