原罪の灯

ここに証そう お前の名を ご覧 あれが生命なる灯

本質的なこと

家族の病状、老化を見て、心が揺れています。

 

子は鎹、などというのは絵空事だと思っていますが、その意味を超えて、私の家族は、私がいなくなったら心身の健康を損なうのが目に見えていて。

 

それを見過ごして家族を捨てた時、私に残るのが後悔だけなのだとしたら、今、私が選択しようとしている道は、間違いだと言えるでしょう。

 

やりたいことや、家族以上に一緒に生きたい人がいたなら、よかったかもしれません。

それらを何ひとつ持たないまま、1人になり、その生活は、人生は、私にとって意味のあるものなのか、わからなくなっています。

 

後悔が、とにかく嫌いです。

後悔を好く人はいないだろうけれど、後悔ばかりの人生だった私は、人一倍、もう、後悔はしたくないのです。

 

家を出ても、出なくても、別の形の後悔が残るわけで、どちらの後悔が、最終的に大きなものとなるのか、目の前のカードを只々見つめて……迷っています。

 

心など、とっくに枯れ果てています。

僅かに残った心の欠片と、体力、それらが尽きるまで、混沌にも似た家族との生活に、全てを捧げようか、と。

 

自己犠牲の本質は、自己満足だと思います。

所詮人間、アガペーなどという感情を持てる人はごく一部で、結局は自分が傷つきたくない、必要とされたい、愛されたい、が故に、献身したフリをするのだと思っています。

 

自分を守るのは、生を受けた意義が少しでも多いのはどちらなのか。

 

迷ったら食べない、は摂食障害の性ですが、同様に、迷ったらやらない、性格でもあります。

 

昨今は、本当に挑戦が持て囃されるべき時勢でしょうか。

保守、には、逃げ込むのではなく、保守を選ぶのも、ひとつの挑戦かもしれません。

 

ただ、保守のカードを選び取るのだとしたら、私は、従属する立場ではありません。

重責をもって、王座に座ることになります。

 

カードは、2択に見えて、実はその亜流のカードを加えたら、もっとたくさんの選択肢があるようにも思います。

 

考えれば考えるほど、わからなくなる。

昔からの、私の悪い癖です。

考える前に動く、が正解だとも思いません。

でも、動きながら試行錯誤して考えていくことができたなら。

 

思考力と想像力、人には劣れどもそれなりに自信を持っていたものたちが、踏み出そうとする足を止めて、邪魔をする、ここ最近です。