原罪の灯

ここに証そう お前の名を ご覧 あれが生命なる灯

知足安分

幸せ、とは何でしょうか。

幸せな人、とはどういう人間なのでしょうか。

 

おそらく、幸せに定義などはなく、本人の捉え方の問題なのだと思います。

 

足るを知る、ことは、決して向上心やハングリー精神の欠如ではなく、今、自分が享受できているものに幸せを見出すことなのかもしれません。

 

逆を言えば、側から見て、どんなに裕福であろうと、本人がそれに満足していなかったら、その人は幸せではないでしょう。

 

そしてまた、幸せとは、自分が日々の生活の中で見いだし、作り上げていくものではないでしょうか。

 

向上心は大切なことですが、現状をひたすら幸せではない、と決めつけて上ばかり見て生きていたら、とても貧しい心で生きていかなくてはなりません。

 

今朝は、開店と同時にパン屋さんに行き、まだほんのり温かいクロワッサンを買ってきて、キャラメルミルクティーと一緒に朝食にしました。

とても幸せな1日のスタートになりました。

 

本来は、寝る場所があり、飢えや渇きに苦しむことなく、健康でいられるだけで十分恵まれているのですが、人間の多くは、そして私自身も、そのことだけで毎日幸せを体中に感じることはできなくなってしまっています。

愚かなことです。

 

幸せかどうかは、つまり、自分で決めるものであり、ひいてはその人の在り方なのだと思います。

不幸自慢、という揶揄がありますが、幸せになれる余地がたくさんあるのに、あえて不幸な面にばかり目を向けるのは、自ら幸せを放棄しているようなものです。

 

日々の静かな生活の中に、できるだけたくさんの幸せを見いだせる、そんな人間で在りたいと思い、今日も生きています。

幸せは、なかなかあちらからは歩いてこないから。

 

昨日から、お空がぐずついています。

今日は、予定が午後ゆっくりからで、帰りは遅くなるので、お天気の様子をうかがいながら、昼前に買い物に行こうか、と迷っています。