原罪の灯

ここに証そう お前の名を ご覧 あれが生命なる灯

能動と受動

昨日は、久しぶりにバレエを観に行ってきました。

プロのバレリーナになりたいと思ったことは1度もないので、良くも悪くも感情移入せず、芸術として楽しむことができました。

 

ミュージカルは、どうしても、何故自分が客席側にいるのか、と思ってしまいます。

名前すらない役でもいい、舞台にいたい、と思ってしまうのです。

 

剣道の先生は、辛い時も、剣道があったからやってこられた、とよくおっしゃいます。

私は、歌があったから、生きてこられました。

平常心の時も歌いますが、辛い時こそ、歌うことで乗り越えてきた、歌に救われた人生だ、と思っています。

いつか私も、剣道があったから…と言える境地に達したいものですが、例えば40年後、歌と剣道と、どちらが私を生かせるかは、まだ分かりません。

 

無気力になって以来、読書や映画鑑賞ができなくなり、まとまった事が手につかなくなりました。

読書は、自分で頁を捲る以上、能動的なもの、映画や舞台鑑賞は、座っていればお話は進むので、受動的なもの、と捉えて、受動的なものすら受け付けない自分が虚しく感じていました。

 

でも、最近になって、自分のペースで進むことのできる、読書や勉強と、あちらのペースで流れてくる映画や舞台と、無気力な人間にとって、どちらが受容しやすいのか、よくわからなくなっています。

 

仕事は生活の糧で、趣味に生きるつもりだった自分にとって、好きだったはずの趣味に興味を持てなくなることは、即ちアイデンティティの崩壊であり、自我を失ったように思っています。

 

歌うこと…ミュージカル…僅かに残った、それらへの固執を探るように掴みつつ、いつかまた、万全の気持ちで趣味を楽しめる日が来ることを願っています。

 

朝はやってくるさ、誰もが言うけれど、その日もまた来る夜、今度も待って越せっての?

昔の曲が、身に沁みる今日この頃です。