原罪の灯

ここに証そう お前の名を ご覧 あれが生命なる灯

キズナソング

今日は、たっぷり睡眠をとった後、商店街のカフェに行き、スケジュール管理や、連絡の返信などをしていました。

 

ドトールが好きで、ドトールはあるのですが、喫煙席の電波が壊滅的なので、最近は個人経営のカフェに行きます。

 

帰りに、久しぶりに、雑誌を買いました。

日経ウーマンです。

日経ウーマンは毎年、手帳関連の特集をする月があるので、その月だけ買っています。

手帳に関しては、私はもう長いこと、バーチカルタイプに細かく書き込むことを確立しているので、新しい手帳に興味があるわけではないのですが、他の方々の色々な使い方を眺めるのが好きで、取り入れたいものも見つかったりします。

 

付録が、母の好きそうな物でした。

それも、購入の一つの理由です。

 

どこに行っても、母の好きそうな物を見つけてしまう。そんなつもりは、ないのに。

渡す予定は、まだありませんが、つい購入してしまいます。

 

先日、大切なお友達に、「蜜ちゃんは、この世に絶望している?」と聞かれました。

即レスで、絶望している、と返しかけて、ふと、違う感情に気づきました。

 

確かに私は、この世に絶望しています。

生まれてこなければ、こんな苦しみを引き摺ることも、なかった。

それでも。

もし、生まれてこなければ、両親に出会うことができなかった。

 

私は、不出来で、面倒な持病があり、両親にとっては、扱いにくいを通り越して、産まなければよかった存在だと思います。

 

それでも。

それでも、私が産まれた時、そして、長らく一緒に過ごした日々の中で、私と出会えてよかった、と思ってくれた瞬間があるのなら、そしてまた、私自身が、両親に出会うことができたから。

 

絶望はしていても、生まれてこなければ良かった、とは即答できませんでした。

 

苦しみは、可視化できないし、他人と比べるものではありません。

その苦しみと引き換えに、両親と出会えたなら、果たして本当に、生まれてこなければ良かったのかどうか、私にはわかりません。

 

特に、母との絆は、どんな鋭い刃物でも、断ち切ることはできません。

それはもう、言葉や理屈では、説明できないものです。

 

私を一番傷つけた人。

私を一番愛してくれた人。

 

憎しみと愛情は、紙一重です。

愛情が無ければ、憎しむ余地もない。

 

価値観も、考え方も、真逆な私たちです。

それでも、消せない絆がある。

 

誰もがみんな幸せなら

歌なんて生まれないさ

だから世界よ もっと鮮やかな悲しみに染まれ

 

絆。

今は細い糸に見えても、断ち切れない、絆。

 

家を捨てて此処に来る時に、母が大切にしていた、ひつじの小さなぬいぐるみを、誘拐してきました。

代わりに、私のところにいた、テディベアを置いて。

 

ひつじは今晩も、枕元に座っています。

ひつじは、私と母の絆であり、私の帰り道の切符です。

帰る予定は、ありません。

でも、いつか…蟠りが溶けて、棘だらけの心に平穏が齎される時が来るのであれば。

 

この世に期待など、もうしていません。

自分の力で、発想を変えていく気力など、とっくに失われています。

 

でも、絶望に溢れたこの世でも、死ぬことができないうちは。

倫理に反していてもいい。

健康的でなくてもいい。

只々、何度打ちのめされても、立ち上がる。

その力が、まだこの手にあるうちは。

 

今はまだ小さなヒカリでいい

そっと命を重ねてゆく僕ら

見たこともないような顔で笑う

きっと全ては見せられないけれど

明日へ向かおう

 

苦しみに塗れ、憎しみと愛情をこの心身に漲らせて、もう少し、あと少し、限界が来るまで、生きていようと思います。