原罪の灯

ここに証そう お前の名を ご覧 あれが生命なる灯

as a person

今日は、久しぶりの道場に行ってきました。

やはり、心が洗われる…と言ったら、過言かもしれないけれど、背筋が伸びます。

面打ちするにも、ただ一点にのみ、集中する。

それは、稽古だからできることで。

試合だったら、そうは行かない。

このところの有耶無耶が、一気に晴れました。

 

今年中には、有段者となるべく。

鍛錬を積む心構えを、改めてした次第です。

 

両親共に、インドアな人々なんだけれどな。

体を動かしていないとメンタル保てない私は、誰に似たのでしょう。

ジムで筋トレ、では、ダメなのです。

美しい体、は、後付けであり、精神論が重視される剣道を選んで、正解だったと思います。

 

さて、久しぶりの稽古を終え。

お酒買いがてら、スーパーの値引き品を吟味していたら、若い女性の叫び声が。

私がスーパーに入った時、小さな男の子を連れていた方でした。

どうやら、買い物をしている途中に、お子さんが行方不明になったらしく、そして、お母さんは、携帯を持っていなくて。

お子さんの名前と、誰か通報してください、警察呼んでください、という悲鳴でした。

 

気づいた時には、カゴを戻して、お子さんのお名前を叫びながら、周囲を走り回りました。

近くにいなかったので、通報が先だと思い、110して、迷子の旨と、着ていた服や大体の身長、パニックになっているお母さんから何とか聞き出したお名前を告げ。

 

警察としては、家に帰っている可能性があるから、電話は繋いだまま、家まで戻ってくれ、と。

私は子供がいないし、持つつもりもないのでわかりませんが、お母さん落ち着いて、と言われても、それは無理でしょう。

大きな交差点でした。

事故になっていたら、すぐに分かるはずだから、事故にはなっていないよ、と、お母さん(多分私より10歳以上若い)の背中に手を当てて少し落ち着かせて。

一緒に、だいぶ離れたお宅まで、全力疾走しました。

 

結果、お子さんは、家までの道に、蹲っていました。

本当によかったです。

 

変わっちまったな、この国は。

私がお人好しなのではない。

その場に居合わせたのに、携帯貸したり、通報したり、一緒に探さないことのできる人々が、私は恐ろしいです。

目を離したお母さんに、全く非がない、とは言わない。

だけど、経験者ではないけれど、きっと子育てって、ハプニングの連続でしょう?

とにかく、目の前で小さな子が行方不明、それが事実、それに対して手を差し伸べない人間が、私は信じられない。

 

ちょうど帰ってきたお父さんに、名前と連絡先を聞かれたので、通行人C、と答えて、帰宅しました。

助けたわけではないから。

私の考える、人として当然のことをしただけだから。

そこに、私が誰であるか、など、関係ない。

 

遅い帰宅をし、お風呂に入り。

本当に、小さなお子さんが心配で、必死で、気づかなかったけれど。

体、ガタガタ(笑)

寄る年波には、勝てない?

いやいや、20kg台だったら、できなかったでしょう。

 

今日は、1時間基礎稽古、1時間試合稽古した30分後に、400mほどを叫びながら全力疾走できた私の体力に、乾杯です。

 

ビールが、美味かとよ。

 

私は、クズだよ。

倫理など、数十年前に踏み外してる。

でもね、私は、それでも、「人で在りたい」のです。

人としての在り方の定義は、人それぞれでしょう。

私は、私のやり方で。

善い行いをした、とすら、思っていません。

これからも、私は、私のやり方で。

できれば、法治国家なので、法律は「できるだけ」守りつつ、ね。

 

お子さんが、無事でよかった。

遅くなって、予定がだいぶ狂いましたが、そんなこと、どうでもいいです。

私は、私を、曲げません。

 

おやすみなさい。